*評判と感情

この評判の善い悪いということは、人間の運命に案外関係があるのは、人の知るところである。世間よくあの人は評判がよいから信用ができるとか、悪いから気をつけろなどということが、その人の運命に如何に影響するかわからない程であろう。もちろん評判のよいに越したことはないが、これが信仰上にも大いに関係するものであるから、それを書いてみよう。というのは、このことを邪神は最も利用するもので、本教なども今までにその意味で狙われたものである。その手段として言論機関を利用したり、悪い噂をまいて評判を悪くしようとする。これがため、本教発展の上に少なからず影響を受けるのであるから、このことはなかなか油断はできない。特に個人の場合大いに心すべきである。何といっても人間は感情に左右されるもので、小さなことでも感情をそこねることが案外不利益で、それには我を通さないことである。つまり相手の言う事が少々間違っていても、それに相槌を打ってやる雅量である。また何事も勝とうと思わないで負けてやることで、負けるが勝ちというのはいい言葉である。私はいつもその方針にしているが、結果はかえっていいものである。
しかしただ負けるといっても、たまには負けられない事情もあるが、これは別で滅多にはない。まず十中八、九は負けたほうが得となる。かのキリストが十字架にかけられる直前 "吾世に勝てり" と言ったのは、この真理を教えたものであろう。私の長い年月の経験からいっても、負けて負けてともかく今日のようになったのである。ところが人間という者は勝ちたい心がいっぱいで、負けてなるものかと思うのは誰しもだが、そこを反対に考えればいいのである。 

【昭和24年(1949)御発表】

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