*真理と非真理

昔から真理ということは誰も言うのであるが、非真理即ち偽理という事は言わないようである。ところが、あらゆる実際問題を検討するにあたって、この真理と偽理との区別のある事を知らなければならない。それによって結果に重大関係があるからである。それらについていつも思う事は、偽理を真理と誤っている事がすこぶる多いのであって、ただ一般はこれに気がつかないだけである。
偽理と真理は宗教にも、哲学にも、科学にも、芸術、教育にもある。何事についても偽理は数年、数十年、数百年にして崩壊するが、真理は永久不変である。何か新しいものを発見した当時、世人は無上の真理と信ずるが、新学説や新発見が出ていつかは崩壊する事もすこぶる多い。それと同じように、大宗教といえども何百何千年の時を経てから消滅しないと、誰か保証し得よう。といっても全然消滅する事もなく、偽理の部面だけが消滅し、それに含まれている真理の部面だけが残される事も勿論で、よし残るものはないとしても、それまで文化の進歩に対し一段階の役割は果たした訳であるから、非難の的とはならない。そうして偽理であっても、真理に近いもの程長期間の生命があり、遠いものほど短命に終わるのも必然の理であろう。
本当から言えば、この真理と偽理との正しい判別をする事がその時代の識者や先覚者の責任であるにかかわらず、そういう超凡的識見を有する者は至って少ないのは事実である。しかしながら、偽理であっても相当長く続く事もある。専制政治や封建思想なども、偽理を真理として扱われた事もある。早い話がムッソリーニのファッショ、ヒットラーのナチス、東条の八紘一宇なども誠に短い運命ではあったが、その当時はそれに気がつかなかった事も不思議である。このように、偽理であっても一時はその民族をして真理と思わしめ、生命をまで軽く扱われたのであって、このような錯覚のため犠牲となり終わった数多くの気の毒な人達を、我等の記憶にまざまざ と残っている。全く偽理の恐ろしさが知らるるのである。
偽理と真理については、宗教に多い事も見逃せない事実である。群小幾多の宗教が出でては滅び、初期は華々しいものであっても、短命に終わり跡形もなくなったものもあるが、全く偽理宗教であったからである。
故に真理同様の価値ある宗教である限り、一時は強力なる圧迫を蒙るといえども、いつかは必ず起上がり大宗教となる事は、現在ある大宗教をみても頷かるるであろう。

【昭和25年(1950)御発表】

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